あれ、どうやったっけ

(たぶん)テキストサイト風blog。文が安定するまで書き直しあるからメンゴ。

文科省の文芸教育指導要領がアレだから俺がヘイトするぜ!

あまり面白いハナシではないなあ

日本の読解力・表現力の教育絡みの話題なんですが……教育パッケージがウンコっぽくね? と。

たとえば以下のような記事ですか。

読解力が危ない(1)~問題文が理解できない : 教育 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

Alexがどうとかという例文が上がっていますが、アレは問題がクソつまらないせいで正答率低いのではないかと。

言語ゲームなら西尾維新の文を問題に使うべき……おっと論がずれた。

http://www.yomiuri.co.jp/photo/20170211/20170211-OYT8I50003-N.jpg

URLコピペで済ますとして(リンク切れたらあきらめて)、二番目に回答率が高いのは「女性」ですから……回答者は多分パターンマッチングをやっており、そもそも読む気がないという可能性を疑います。

具体的には、回答者は問題文をまず見たはずです。次にお題を読み、先頭に引っかかった「女性の名Alexandraの愛称」で評価を打ち切ってDを選んだものと思われます。これは問題がクソ面白くないので読みたくないという回答者の反乱ですな。おっともう余談に突入している。

余談ついでに行っちゃいましょう。

日本一面白くない文章の代表は「新聞の社説」だと僕は思っています。ですからこの辺に

向上には新聞の社説のような論理構成の文章を書き写し、自分の意見を書くことが効果的だ。読書もただ本を楽しむのではなく、『読んでどう考えるか』という学習にしないと読解力は育たない

噛みついてみると。

クッソつまらねえ社説書き写しても意味がない そもそも学習経験が少ない相手に、現物見せて写経させて、構成のパターンを見出させる訓練させるとかアホじゃね? とは思います。よっぽど頭良くないと無知状態の人が文章から構成パターン見出すことはできませんし、そも車輪の再発明であります。

90%の人間はコピペで終わりますよ。選別用途(無知からパターンを見いだせる地頭の有無判別)なら写経が最適ですが、それ教育じゃないので。

書き写しってのは「相手がなぜその時点でその単語を選んだか、なぜある一文の前にこの一文差し込んだか」とかの取捨選択を考えながらやらんと単なるコピペになります。逆説的ですが、写経はある程度経験のある人間がやらないと意味がないんですわ。これコードも文章も同じです。

効果があるとしてもせいぜい90%の人には「脳内コピペのテンプレインストール」とか「体で覚えたコピペをベースに、単語の入れ替えをやる」以上にしかなれない。一番わかりやすいのはエバケンにドハマりして文体コピペした軍ヲタの人のような文章でしょうか?

ド素人に写経させても単なる文字の練習あるいは文体コピペ以上の効果は発生しないでしょう。あるいはパロディ。

あとしばしば社説は三段論法ではなく人文学的エッセイ(序文では結論を提示しない)のスタイルの場合もありますので「論理構成」の学習として不適な場面もあります。その辺で「社説」を取り上げる論者には「うわ―引くわー」って言いたくもなる次第。

論理構成云々するなら小中の教育でテクニカルライティングの「一部」を教育するというか、カタとしての三段構成くらいは教えておくべき、が正しいかと。

なおランキングが落ちたと言われるアレは「PISA」のもので、日本人が学校教育でやってないテクニカルライティングの側面も含みます。ですから、読書のみならず、最低でも三段構成での記述の練習やってないと成績落ちます。

そもそも読解力ってなんなのさ、および強化法

読解力という表現がそもそもあいまいなのです。ですからきちんと定義をしましょう。

  • 曖昧な単語を前後の文脈から判断し、より具体的な単語へ変換しなおす能力
  • クソ長い文章を1行まで要約(抽象化)する能力

です。これでも意味がわからんかもしれませんから例を出します。

例えば上記の「読解力」であらば、「読解力」という抽象的かつ複数の解釈が可能な単語に対し具体的な定義としてどんな文章をアテ込むかが読解力です。あるいはその逆、長ったらしいクソッタレな駄文を1行で要約せいやってのも読解力です。

表現能力と読解能力は基本的に別物です。

読解能力は基本的には「特定単語への具体的な定義の適応」および「要約」の反復訓練で伸びます。「単語への具体的な事物の適応」には各種知識を要しますから、基本的には時間が経たないと伸びていかないって側面もありますがね。

ただ読み手自身が面白いと思える文章、読みたいと思った文章でやらさないとダメです。クッソくだらねえ文章を脳内で覚えてられるかよ、というのがその理由。

フォア文庫でも読ませて「この本ってどんなあらすじだった?」とか「どこが面白かったか引用しながら説明してちょんまげ」位のが効果あるでしょうかねえ。そういやナビルナってどうなったん? 

小説に興味示さないようなら教材は漫画でもいいです。ただし要約は文章でやらすこと。あと「このキャラがここで相手を斬るのをためらった理由は?」とかを書かすとかでもいいでしょ。

無論僕みたいにひん曲がってたら「はだしのゲン」とか図書館から引っ張り出して「ゲンが大人の人から角材で殴られてギギギって言ってるシーンを見たときに『いや普通痛くてギギギとか言えないだろ』って思ったので面白かったです」とか書くね。

僕話題に困ったらはだしのゲン使いますから。どうせ皆様一回は図書館で見るでしょ? 大体の人は知ってますので、アレ。小学校の図書館にある本の代表その他の「火の鳥」とか「カムイ伝」などは大人にならんと面白さわからんですし……「マンガ 日本の歴史」なんて誰も内容覚えちゃいねえよ。

なお、良い読み手が上手い文章書けるかどうかは別。

よく読めばある程度の文はテンプレとして書けると思いますが、味読に堪える文を書くためにはそれなりのレトリックなり文の配置構成も問題になります。

読むのと書くのは両輪でしょうが、片方の教育やったらもう片方が自動的に伸びることはまずないです。

「朝に社説読ます」のを学校の授業の一環として組み込んでも読解力も表現力は絶対に向上しないことだけは間違いないです。

まあやるとしても「この社説を要約したらどうなる?」ですかね。

もちろん社説を小学生に要約せいとか、特定の一文引いてこれは具体的には何ぞやを書かすとかさせるとしましょ。そんなこと小学生にさせても、大人のホシュだのアカだの満開なハナシを子供が読んで要約できるかな? 展開できるかな? 前提知識足りな過ぎてムリですね。

結論:電撃文庫フォア文庫か漫画で要約の練習させた方が社説使うより五兆倍マシ(でないと受け手側の熱が入らないかもな)

なお、日本独自の方法論は「漢文読み下し」ですかね……。漢字は抽象的な表意文字なんですが、それに一文アテ込むって訓練にはなるので。

特定個人の読解力が急激に向上する場合ってのは稀にあるそうです。俗に言う名著の類を読む前・読了後ですが……どの本が合うかは相性・個体差大きいですから教育向きではありません。僥倖の類。

OK、じゃあ表現のほうですね

表現の方を伸ばすなら、基礎のキとして月がきれいだったのでよかったと思った」みたいな相手の一文を切り取ってどんな月だとか風景だとかであったか具体的に書いてみてくださいという練習が必要ですね。

文章書きに不慣れであれば、通常は極度に抽象化された情景描写をやります(AがBだったのでよかった、という小学生の作文ですな)。この段では外部の情景とか見聞きしたデータなどを書かしたほうがいいです。

慣れてくると外部ばっかり書く新聞記事状態、あるいは文学青年こじらせた思考垂れ流しモードになります。

「林間学校の夜に僕はテントの外に出た。外は震えがくる寒さで小声そうだった。見上げた空は美しく、黄金色の三日月、たくさんの星があった。三日月の先端の鋭さはナイフを思わせるものでその鋭さは今の自分にはぴったりだと思った。なぜなら僕は自分の道を鋭く貫きたいと考えていて、クラスの他の人の進路、普通の人の生き方とは違い、一人だけ高専への志望を出したからだ。他の人とは進路はちがうかもしれない(以下うんたらくんたら)」。

その段に来たらまあ「使ってない五感を使ってみなさい」とか、外部・内面を抽象化する(というかいらん部分切り飛ばす)訓練しつつ、順序だてて考えを表現……と、外と中を行ったり来たりする感じですかね?

最終的には「林間学校の夜、白い息を吐いて空を見上げたら鋭い三日月があった。あの切っ先のように鋭く生きたい。クラスの皆とは違う進路を僕は選ぶ」位に落ち着くんじゃないかな? もっと削れるかもしんない。

上記のようなのは人文学的表現でして、結論が最後に来る表現であり、しばしば社説でもやらかす奴です。ビジネス文書とはちょっと違う話。要約と展開は一緒なんですけど構成が変わります。

並行して最低でも「三段論法」、初めに大雑把な方向性なり結論を提示、真ん中で論の展開、結論でフィニッシュ、の書き方も何度かやらしておくべきですね。ビジネス文書とか要求仕様とか論文での書き方。

一応言っておきますが後で序文書き直して結論分かるようにするんですよ。「はじめっから結論分かってないから序文で結論書けない」ってなら、いったんはテキトー埋め草して放置してください。後で直しましょう。

プロッティングはどっちゃでもいいです(僕は苦手な方)が、いっぺんハコなりアウトラインなりは指導したほうがいいかな? と。

ま、かつて日本の国語教育が推進していた自然主義的文学尊重なんぞやってたらそりゃ表現力なんか落ちるに決まってるわボケとでもいいますか、「本当の意味で」自然主義的表現やるなら「ムカつく」と「ワロタ」と「ウケる」と「泣ける」と「Chim↑Pom」とツイッタラーの変態が言ったような「女子トイレに忍び込んで三角のアレを開けてナプキン回収してオカズにしたい」くらいしか書く必要なくなるんですよね。つまり、感情ばかりの初級で止まってしまうかも知らんわってこと。

で、今度は……朝の社説ですか。なんていうか今は江戸時代か?

まあ書く方も要約と展開のスキルが問われるんですが、文章の設置順(構成およびレトリックの一部)も問題になります。書く順番は注意したいですね。なおレトリックの一部には「文章を印象付ける単語配置」なども含みます。他は単に比喩とかそういうのですが……。

なお、僕は三角のアレを開けるのは嫌だな。僕の性癖は眼鏡っ娘のおむねに抱かれたいというものなので。

作者の気持ちになって(笑)

理系の人が文系をヘイトするときの常套句に「作者の気持ちになって答え書いてろ(笑)」というのがあるんですけど……別に作者の気持ちになる必要ありませんよ? 末尾、つまり結論部に答えがあるのでコピペしてるだけですよ。高校とか大学受験ならね。慣れればカンタン。

なお日本語は文字として「漢字」、つまり表意文字を採用したことにより、Perlのような不明瞭さも持ち合わせることとなりました。ある単語に対して適切な具体化がしにくい体系なんですよ漢字は。「ふわっとした意味を短い文章で伝達」には向いていますが、厳密さや正確にはやや欠けるところがあるかも。人文学的寄り言語体系とでも言いましょうか。

日本語を扱う場合、適切な訓練を受けてないと読みやすい・伝わりやすい表現をするのは難しいかもしれません。で、意味取ってもらえないからと逆切れってなものです。

……まあ仲間内の会話なら意味も通るでしょうが、赤の他人に意味取れるか? くらいの意味合いですね。

すごくどうでもいい下ネタ

日本語は「音の数が少ない」という謎のアレがあります。ですんで同音異義語とか、ダジャレとか、中二病表現の類がやりやすいところはあるんですよね。

「生徒会」に別の意味を持たせようとして「聖徒会」「星徒会」「性徒会」とかな。全部エロゲでみた表現です。